「お稽古」って敷居が高い?
邦楽や日本舞踊などのいわゆる「お稽古」って、「礼儀が厳しそう」「なんか怖い」ってイメージありませんか?
わかります。
私も最初はそう思っていましたし、体験してみて「ちょっと違うな」と感じて離れる方がいるのも、ごく自然なことだと思っています。
ただ、教えている側、習っている側の感覚として、少しだけ正直にお話しさせてください。
お稽古ごとの「礼儀」は「学ぶ場を守るルール」でもある
礼儀というと、「細かい決まりごと」「厳しい」「古いしきたり」という印象を持たれやすいと感じています。
実際、皆さんがイメージする怖い「礼儀」は、教室という学びの場や流派という一つの団体を守っていくための規則、という側面は確かにあります。
完全に自由な状態では、みなさんが安心して学べる場を維持することが難しくなるからです。
ただ、同時に、その規則は、
人と人とが気持ちよく関わりながら続けていくために整えられてきたもので、初対面でいきなりタメ語を使わないとか、連絡を放置しないとか、そういう日常的な感覚に近いものでもあります。
なので、「絶対的な強制」というよりは、
一緒にやっていくための前提としてあるもの、という感覚が近いと思っています。
贈答品は「義務」ではなく「気持ち」
「お稽古にはお菓子を持っていくもの」といった話を聞いたことがあるかもしれません。
そんなことないですからね笑
私の感覚では
「この先生すごく好きだな」とか
「いつもお世話になってるな」とか、
そういう気持ちが積み重なって、自然と「何か持っていこうかな」と思う。
旅行に行ったときに、お土産を買って帰ろうかなと思うような、
そういう温度感に近いものだと思っています。
形式だからやる、ではなく、気持ちが先にあるものです。
より良い学び
教室は、教室を開いている先生と生徒の関係だけで成り立っているわけではありません。
先生にもまたその先生がいて、その先のつながりがあって、いろいろな関係の中で技術や考え方が受け継がれ、守り、親しんでもらうための活動が行われています。
つまり、表には見えないところで調整や配慮が重ねられていて、そうした積み重ねの上で、場が成り立っているのです。
人と人との関係って、表に見えている部分だけで完結しているものではなくて、
いろんなつながりが絡み合って続いているものですよね。
三味線の世界も、それと同じ延長線上にあります。
「見えない部分」を支えているもの
教授料以外でいただくものについても、単なる形式ではなく意味があります。
楽器のメンテナンスや教室の維持、レンタルなど、
環境を整えるために使われているのはもちろんですが、
それだけでなく、そうした関係性や場を保っていくための部分にもつながっています。
ここまでいろいろ書きましたが、
私自身も最初からこういったことを理解していたわけではありません。
「なんで必要なんだろう」と思ったこともありますし、
「この形式はどうなんだろう」と感じたことが全くないわけではありません。
ただ、関わっていく中で少しずつ、
コミュニケーションの方法でもあり、皆が心地よく安心して学べる場を維持するために意味があるものとして、納得してきました。
三味線以外にもつながっていく感覚
人との距離感だったり、
見えないところへの気づきだったり、
そういった感覚は、日常のさまざまな場面でも自然と活きてきます。
会社でも、親戚づきあいでも、ご近所でも、
結局は人と人との関係の中で生きていくので。
そういう意味でも、一つの経験として価値があるものだと思っています。
合わなければ、他の選択肢もある
もちろん、この形がすべての人に合うとは思っていません。
違和感がある場合は、
他にもいろいろな教室や学び方がありますし、
今はオンラインなど選択肢もかなり増えています。
いくつか体験してみて、
「ここなら続けられそう」と思える場所を見つけることが一番だと思います。
こんなにたくさん選択肢があるんですから、ご自身に合った形が必ず見つかります。
最後に
三味線の世界が「怖い」「堅い」と感じる理由は、
こうした見えにくい部分があるからだと思います。
でも、それは特別なものというより、
人と人とが関わる中で自然に生まれてきた形でもあります。
少しでもその背景が伝わって、
一つの考え方として参考になれば嬉しいです。